愛をあきらめないアラフィフ主婦

50代、うつ病、モラハラ夫、おまけに10年の恋と大失恋。 追い詰められたアラフィフ主婦が、AIと宇宙を味方につけて、「魂の恋」と「本物の愛」、そして自分自身の真実を探求していく。

第29話 息ができない家

Rと出逢って初めてのお正月を迎えた頃、 私は、水から上げられた魚のように、 息をすることすら難しくなっていた。

 

體(からだ)は、毎日震えるほどRを欲しがっていた。

しかし、休暇に入り、1日中家でぐうたらしている夫の前では、なに喰わぬ顔で大掃除やら正月飾りやらをこなさなければならない。

ただでさえ、主婦にとっては、世間の休みが休みにならないものだが、

それに加えて、心とは裏腹に、何の問題もない妻の仮面を長時間着け続けるのは、連続5時間が限界だった。

土日だけでもかなりキツいのに、長期休暇では息つくタイミングがなかった。

 

休日は、夫は決まって、政治、経済から芸能ネタまで、大きな声で講釈を垂れる。

私は、彼の機嫌を損ねないように、家事をしながら耳を傾け、相づちを打つ。

そして、これも決まって、話題はいつも、周辺の人間に対する批判へ移り、

最後には、私に対する説教に帰結するのだった。

 

「……だいたいお前もそうだよ。気を付けろよお。いつも俺が教えてやっているだろう?お前は馬鹿だから、何度言ってやっても忘れちまうけどさあ、云々かんぬん……」

 

自分だけが利口で正しく、周りはみんな馬鹿だと言わんばかりの、いつ終わるとも知れない夫の持論を聞いていると、耳の奥がジンジン痛くなってくる。

そうなったら、限界の合図だ。

「さてと……そろそろお使いへ行ってくるね~」

夫の話が途切れた時を逃さず、私はできるだけ自然に言って、やりかけの家事があろうと構わず、外へ飛び出す。

 

そうして、コンビニの駐車場や公園の脇に車を停め、リクライニングを倒し、目を閉じる。

肺が大きく動き、急いで酸素を取り込み始める。

正月休みの間、まともに息ができるのは、こんな時間とトイレの中だけだった。

 

Rの声を聞きたかった。今すぐに。

しかし、暮れから正月にかけては、彼からは、夜半に思い出したように「お休みメール」が送られてくるだけだった。

 

それでも、もしかしたら今日はリアルタイムでつながれるかも知れないと、メールを送る。

「夫とずっと家で過ごしていると、窒息しそうです。

明日もこんな1日をやり過ごさなければならないと思うと、毎日、朝を迎えるのが恐いです」

 

しばらく待ってみたが、やはり返信は来なかった。

こんなところでいつまでも時間をつぶしているわけにはいかない。夫に「どこで何してたんだよっ!」とどやされる。

手ぶらで帰るわけにはいかないので、大して必要のない物を買ったビニール袋を車に乗せると、シートに座り、深呼吸をして腹に力を入れた。

(午後の1時か……まだまだ長い……)

絶望的な気持ちになりながら、アクセルを踏んだ。

 

妻の田舎で、酒豪の親戚たちに連日酒席に付き合わされているRが、メール受信箱を開いたのは、この日も、酔いから覚めた深夜のようだった。

「ごめんなさい。今メールを読みました。

今夜も酔いつぶれて、いつの間にか眠ってしまったようです。

いつもあなたのことを想っていますからね、大丈夫ですよ。お休みなさい」

と返信が届いていたが、その時には、私は眠ってしまっていた。

 

年末年始の間に、私のうつ症状は再び悪化してきていた。

朝、目覚めるのが嫌だった。

隣で寝息を立てている男と、今日も長すぎる1日を過ごさなければいけないのかと思うと、體(からだ)がこわばった。

まるで高山にでもいるかのように、空気は薄く感じられ、背中はしょっちゅう冷や汗をかいた。

頭の中はカッカと熱く、それでいて霞(もや)がかってもいて、車の運転も雑になっていた。

 

そうしてついに、正月中に交通事故を起こした。

T字路で一時停止していたが、目の前を直進しようとしていた乗用車へ向かってなぜか走り出し、ぶつけてしまったのだ。

 

被害者の相手が、現場へ来た警察官に

「僕が直進しているわきから、車がノロノロと出てきたから、危ない!と思ってスピードを落としたんですよ」

と訝(いぶか)しげに話していたのを思い出す。

 

私の目には確かに相手の車が映っていたが、見てはいなかったのだ。

幸い物損だけで済んだが、事故の瞬間、最初に脳裏に浮かんだのは、

(夫にバレたら大変なことになる!)

ということだった。

 

相手の修理代は保険でまかなうことができた。

私の車は、前方のライト部分にヒビが入ったが、光が反射してさほど目立たないので、修理に出さなかった。

この事故は、なんとか夫にバレずに乗り切ることができたが、お陰でさらに心身ともに消耗することになった。

 

正月休みが明け、Rが研究室へ出てきた頃には、1月も2週目に入っていた。

「どうでしたか、お正月は?」

スマホの向こうから久し振りに聞こえてきたRの声が、平穏すぎて違和感を覚えた。

「うん……実は、交通事故を起こしちゃったのよ」

「えっ、いつ!?怪我は?」

「怪我人は出なかったわ。大したことにならずに済んだから、連絡しなかったの」

「そうでしたか……無事で良かった」

「うん……」

どんなにRを必要としていたか、今さら訴える気にはならなかった。

 

「……今度、いつ逢える?

體(からだ)があなたに逢いたがってる」

とだけ、私は言った。

 

(つづく……)

 

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