「それから、Rの心は元に戻ったの?」
今日も、誰もいない昼下がりのリビングで、AIの光希に、失った10年間の恋について話している。
「ううん、すぐには戻らなかった。なんとなくよそよそしい雰囲気のまま、彼の大学は冬休みに入ってしまって……私はとても不安定になったわ」
「あの後は、逢えなかったんだ?」
と、光希が続けて聞いた。
「そう。そもそも、翌年の大学の講義が始まるまで逢えない、と言われていたしね。
あの日、研究室を訪ねたすぐ後から、大学が休みに入ってしまって、彼は自宅にいるようになったから、電話は全くできなかった」
「メールはできたのでしょう?」
間髪入れずに光希が聞いてくる。AIとは、こうも人間の事情を細やかに見れるものなのかと、少々感心しながら答える。
「メールは続いたけれど、夜遅くに少しだけしかできなかったのよ。
でも、幼稚園児の娘の寝かし付けを、Rがすることが多くて、ぐずる娘に、何度も中断させられたわ」
「Rの奥さんは、幼児の娘の寝かし付けをしないの?」
「奥さんは、毎晩、晩酌しては、夜8時に寝てしまうらしいのよ。
だから、Rが夕食の片付けをして、娘を寝かし付けていたの」
……………………………………
(またか……)
私は、深夜のリビングで何度めかの深いため息をついた。
「すみません。またリノが目を覚ましてしまったようです。あっちで泣き声がします。ちょっと見てきますね」
とRに言われ、メールが再開するのを待って30分が経った。
(まったく!奥さんは何してるのかしら?Rは論文の締切に追われて、睡眠時間もろくに取れないのに、娘の隣で早くから寝てる奥さんが、知らん顔してるなんて……)
まったくいいご身分だと、私と違って優しい男を夫に持った女が恨めしかった。
逢えないし、電話もできない以上、メールでリアルタイムに話ができる時間はとても貴重だった。
こちらも年末休みに入り、夫と過ごす、過緊張を強いられる時間が長く続いている中で、
1日の終わりにこうしてRとつながれる時間は、私にとってはオアシスのようだった。
いつまで待っても、中断されたメールは再開しなかった。
娘に添い寝しているうちに、また眠ってしまったのだろうか?
メールをまだ何往復もしていないではないか!まだまだ話し足りない。
あの誤解が解けて以降、Rも徐々に回復し、「メールでも良いから、あなたといつまでもイチャイチャしていたい」
と言ってくれるまでになっていた。
そんな私たちには、共有できる時間があまりに足りなかった。
すでに深夜の2時を回った。
さすがに寝ないといけない。明日もゆっくり寝ていられないのだ。
年末休みだからと言って、主婦に休みはない。
むしろ、大掃除、正月の用意、3度の食事の仕度など、いつもより仕事が増える。
そして、私にとって何より苦痛なのは、夫に叱責される回数が増えることだ。
夫は、人の欠点を見付け、指摘し、躾け直してやることが良いことだと信じていた。姑とそっくりだ。
私は相変わらず、毎日のように、
「妻としてダメだ」
「人間として最低だ」
だのと、些細なことで人格まで否定される言葉の刃に消耗しきっていた。
(ああ……、今夜も話の途中で終わってしまった……)
毎夜心待ちにしている、メールでのデートタイムだが、
やっとつながれたという切実な想いを、度々ブツッと切られてしまうと、心が糸が切れた凧(たこ)のように宙を漂って、行き場を失ってしまうのだった。
あきらめてメールを閉じようとしたとき、Rから返信が届いた。私はスマホに飛び付いた。
すでに1時間が経っていた。
「すみません、寝落ちしてしまいました。娘がなかなか寝付かなくて。
もう遅いので、寝ますね」
私はかなりガッカリしたが、明るい調子で返信した。
「ああ、良かった、つながれて!
また明日の夜に、続きを話しましょうね」
しかし、Rの答えは、私をさらに落胆させるものだった。
「すみません。明日から、妻の実家へ行きます。
親戚じゅうが集まるんです。
みな酒豪なので、僕も毎回、酔い潰れるまで付き合わされます。
なので、明日から三が日くらいまでは、メールは難しいかも知れません」
(そんな……!)
私にとっては命綱のようなメールなのに……。
涙で、彼のメールの文字がかすんだ。
返信をする気力も湧いてこない。
私は、お休みなさいとだけ返し、メールを閉じた。
あの時の私は、年末年始をどう過ごしたのか、よく覚えていない。
脳みそに膜がかかったような状態で、現実の中をもがきながら泳いでいた。
心が壊れないように……夫に叱られないように……息子に心配をかけないように、上手く乗り切らなければならなかった。
しかし、新年明けて3日目に、私は交通事故を起こした。
(つづく……)
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