単に若返りたいがために、若返りたいのだったっけ?
朝、鏡の前で、50半ばを過ぎた自分の姿を
見ながら身づくろいをしていて、
ふと、ある極端な考えが浮かんだ。
もし、完璧な整形手術ができて、
50歳半ばのこの顔に現れだしたシワやシミ、
たるみを完全になくし、
ついでにボディラインまでお直しして、
理想の姿形に若返ることができたとする。
私はこの容姿を見せに、いの一番に最愛の男の元へ走るだろう。
でも、その相手が、そんなに喜んでくれるわけでもなかったら?
いや、もし、何かのキッカケで心が離れてしまったら?
その途端、私は、直した顔と體(からだ)に、何の価値も感じられなくなるだろう。
整形手術の是非を言っているのではない。
私にとっては……
愛する人に愛される人生がなければ、
どんなにキレイな外見も、どんなに贅沢な持ち物も、
全てが虚しく、無意味に感じられるのだろうなあ、と身につまされたのだ。
もちろん、快適に生きていくためには、若さもお金もあった方がいいツールであることは、間違いない。
貧乏でも愛を選べとか、外見より心だとか、そういう話ではないんだよね、これは。
ただ、若さやお金が心を満たすかどうかは、まったく別の話なのだと実感している。
"若さやお金"と"幸福感"は、構造的に、階層とか次元とか、そんなものが異なるのかも知れないね。
言ってみれば……
“愛”が土壌とか基礎工事なら、“若さやお金”は、インテリアとかエアコンかなあ……。
砂漠のど真ん中に、超ゴージャスな家を建てて贅沢三昧させてやると言われても、かなり辛いもんなあ……
ともかく、私が真に欲しているのは、真に愛し合える相手なのだ。
愛を感じられて初めて、若さやお金も楽しむことができるのかなと、
アラフィフになった今ごろになって、しみじみ思う。
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