昨日、仕事終わりに、
旦那に誘われて寿司屋へ行った。
旦那の事務所の経営のことから、互いの趣味の話まで、
お互いに思い付くままにおしゃべりしながら、美味しいネタをたらふく食べた。
この場面だけを切り取ったら、
穏やかで楽しく、幸せな夫婦生活に見えるだろう。
でも私は、常に"違和感"を感じている自分に気付いている。
こうした夫婦生活の風景は、私にとっては、例えるなら……
会社の同僚とそれなりに無難な時間を過ごしている場面、と変わらないのだ。
心の全てをさらけ出せる訳でも、
真の悩みを打ち明けられる訳でも、
心から頼れると信頼している訳でもない。
旦那は、「機嫌のよい私」以外を長年拒絶してきた。
旦那といる時、私は常に少し緊張し、身構えている。
でも私は、どんなにひどい状態の私でも、
"自然に" "無理なく"受け入れてもらえる愛を、すでに知ってしまった。
これは、「刺激のある関係」とか、「女に戻れる関係」とかとも違う。
言語化が難しいが、あえて言葉にするなら、
「自分が限りなく赤ちゃん状態になれる関係」
とでも言おうか。
赤ちゃんは、1人では食べられないし、トイレもできないどころか、歩けもしなければ、寝返りも打てない。
なんにもできないのに罪悪感や劣等感がないどころか、堂々と輝いている。
人間として最も手がかかる存在なのに、周囲がその存在を喜んで迎え入れている。
この赤ちゃんが無自覚に感じているであろう、生命の躍動と満ち満ちた感覚を、
100%とまではいかないが、
私は、10年付き合った恋人と一緒にいる時、たびたび体感していた。
安心、充足、わき上がる歓喜、自分の内を循環する生命力、安寧……。
だから、夫のモラハラが収まり、やっと
穏やかで、それなりに幸せで、けっこう自由な結婚生活を送れるようになったのに、
虚しさを否めないのだ。
この感情を、以前の私なら、
「ぜいたく」「わがまま」「足るを知れ」
と、押さえ込もうとしただろう。
「ありがたいこと」「感謝すべきこと」だと、自分を説得しようとしただろう。
本当に感謝できるならそれは素晴らしいことだが、今の私は、
本音を、"慣れ"の中に埋没させることができなくなっている。
「こんなもんでしょ」と、ごまかすことができなくなっている。
ああ、私は、求めることをやめることがてきない。
10年間Rと体験した「愛」を、完成させることを……体現し、体験することを。
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