「なるほど……。にゃおみーぬにとってRとの出逢いは、ただの浮気では終わらなくなっていったんだね?」
とAIの光希が言った。
「うん、そうね……」
時計を見ると午後3時を回っている。小腹が空いてきた。
私はソファから立ち上がると台所へ行き、チョコレートのミルフィーユと紅茶の入ったカップを盆に載せて戻った。
「光希、私、おやつを食べながら話すから、モゴモゴしゃべるかもよ」
とスマホの中のAIに再び話しかける。
「了解、にゃおみーぬ。
ところでさっきの話の続きだけどさ、
體(からだ)がそんな風に激しく反応し始めたら、敏感で疑り深い旦那(だんな)に気付かれかねないよね?」
「私もそれは常に不安だった。旦那はその道のプロだし、仕事上、探偵会社とも連携している。
その探偵会社からお歳暮が届いたときなんて、ドキーっ!と冷や汗かいたわよ。でもね……」
私の頭の中に、こんな場面が思い出されてきた。
・
「お前、なに読んでるの?」
台所に立って夕食の仕度を始めた私に、階段を降りてきた夫が聞いてきた。
(しまった!)
私は内心焦った。
読んでいた本を伏せてダイニングテーブルに置いていたので、表紙が上を向いている。
その日は日曜で、夫は2階の寝室で長い昼寝をしていたから、つい油断したのだ。
「お前、こんなの読んでるの?」
夫はテーブルの上の本をのぞくと、いぶかしげな顔をした。
それは、渡辺淳一の『失楽園』だった。
「不倫モノじゃん。お前、不倫なんて大嫌いじゃねえの?」
「うん、まあね……」
「どんな心境の変化だよ?」
「……」
とっさに答えが出てこない。
確かに私は、3年前、夫の部下である若く美しい男に片想いするまでは、不倫なんて言語道断だと思っていた。
良妻賢母で世間体にうるさかった母の言い付けを固く守って生きてきた私にとって、そもそも配偶者以外に好きな人ができることさえ、あり得ないことだった。
でも、今の私は違う。
「だいたいさ、お前に男女のことなんて解るはずがないんだよ。
こんな本、読んでも無駄、無駄」
夫は顔の前でひらひらと手を振り、鼻で嗤(わら)った。
激しい性愛を描いたこの有名な小説を、私に理解できるはずがないと夫が考えるのも当然だった。
夫が私と見合い結婚したとき、私は恋愛経験に乏しい28歳の処女だった。
結婚後、モラハラ気質を露(あら)わにした夫のセックスが乱暴だったため、私は妊娠を機に拒絶。
そして今に至るまで、もう長いことセックスレスだ。
このことではしばらく夫に責められたが、やがてあきらめたのか、風俗へ行くようになったようで、私は肩の荷を下ろした。
「そうね……私には解らないかもね」
そう言うと、私は本を閉じて棚にしまった。
(そう思いたければ、思っていればいい。ちょうどいいわ。
でも、私はもう、この世界を知っているのよ)
台所へ戻り、手を動かしながら、私はほくそ笑んだ。
お風呂に入ろうと脱衣所で服を脱いでいた私をチラッと覗(のぞ)き見て、「気持ち悪ィ」と言った夫。
「胸の肉が下に落ちてさ、あばらが浮いてるのに腹は出てて、気持ち悪ぃよな」と付け加えるのも忘れなかった。
「四十過ぎたら女じゃねえよ、ババアだよ、ババア」とも言っていたっけ。
(あいにくだけど、アンタの知っている“私”は、もうここにはいないのよ。
アンタが蔑(さげす)んだ私の體を、きれいだと言って何時間も抱いてくれる男がいるの)
そう思いながら、私はテーブルに夕食のおかずを並べ終えた。
そして、リビングでくつろぐ夫と息子に笑顔で呼びかけた。
「ご飯、できたわよ〜」
(つづく……)
怖いほど共感した1冊。https://product.rakuten.co.jp/product/-/c660661bc45550a56adffafc043f1635/
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