相続争いって、実は、お金の争いではない。
当事者になって初めて解った。
私たちが解決したいのは、
「傷付いた気持ち」
なのだ。
・
それから……
私は3日3晩泣き腫らした。
私の何がいけなかったのだろう、と何度も思い返した。
当時全介護状態だった80歳近い母を、たった3週間で1人でトイレができるまでに回復させたのは、
母にとっては実は、相当厳しかったのだろうか?
その時の私は、
母にとっても家族にとっても一番辛いのは、
母がこのまま寝たきりになってしまうことだと考えていたから、
症状が固定しない内に早期に回復させようと必死だった。
母自身も、寝たきりになるのだけは避けたいと、
まずはトイレだけでも自力でできるように頑張ると、意欲を見せていた。
と言っても、独りでは寝返りを打つこともままならない母にできることなど何もなく、
当初は介護用ベッドの上で天井を仰ぎ、ただ泣いている毎日だった。
私は、母の心が少しでも休まるように、
「瞑想」を教えた。
瞑想と言っても、
朝の寝起き時と、夜の入眠前に
最低10回深呼吸に全集中する、
というごく簡単なものだった。
この瞑想法によって、私が自力でうつ病を完治させたことを知っていた母は、真剣に取り組んだ。
というか、それ以外にできることがなかったのだ。
しかし、これが功を奏したのかーーというより、これ以外には何もしていないのだがーー、
まず、母の心がみるみる前向きになった。
そして、心が元気になるにつれ、体の動かせる部位は、たとえ指1本でも動かそうという意欲が出てきた。
そして、少しでも自力で動けると、
まるで初めて歩けた赤ん坊を見るように、
2人して喜び合った。
そんなことを日々繰り返している内に、
80歳近かった母が、3週間という驚異的な早さで、
第1目標であった"独りトイレ"ができるまでに回復したのだ。
「私、もう1度元気になって、着物を着てお友達と出掛けるの。
こんなに早く動けるようになったのだから!
冷蔵庫にある物を取り出して、チンして1人で食べれるようにもなってきたのよ。
にゃおみーぬ、ありがとうね」
そう話す母の顔は希望で輝き出し、自信を取り戻しつつあることが判った。
後は、家の中で少しずつ動く練習を進めながら、
リハビリテーションに通う手続きが整う日を待つだけだと、
私もひとまず胸を撫で下ろした。
その頃になると、
母の弟や、ちょうど体調が良くなったと言う妹も時々訪ねてくれるようになった。
介護開始からひと月近く経ったところで、
皆で交代で母の世話ができるようになり、
私もようやく一息つけた。
ところが、それから間もなくすると、
母が私に、妹に対する不満を頻繁に訴えるようになった。
「G子は相変わらず鬱々(うつうつ)として、私に愚痴ばっかりこぼすのよ。
私は前向きにリハビリを頑張っていこうと思っているのに、あの子の話を聞いているだけで疲れてしまうの」
妹は、相も変わらず、母を支えるどころか心配をかけて足を引っ張っているのかと、
私は呆れ果てた。
妹に注意しようとしたが、母に止められた。
「いいよ、いいよ。
あの子のうつ病が悪化してはもっと困るから。
それより、にゃおみーぬとO(私の息子)が来てくれると、パッと明るくなって元気になれるから、大丈夫よ」
と。
しかし、こんな会話を交わしてから10日も経たないうちに、
妹と叔父から、母が私を泥棒呼ばわりしていると聞かされたのだから、
私には青天の霹靂だった。
母はボケてしまったのだろうか?
いや、寝たきりになってから3週間、そんな兆候は見られなかった。
時々苛立って、些細なことで私に当たり散らすことがあったくらいで、
基本的には、私が顔を出すと喜んでたくさんおしゃべりし、少しでも体を動かそうと張り切っていた。
そんな母が突如豹変(ひょうへん)したのか、
妹と叔父がとんでもない勘違いをしているのか、
それとも、何か企んでいるのか……?
私には、何が起きているのか皆目見当がつかなかった。
(つづく……)
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