「私、夫が嫌いなんです」
なんの話からだったか、そうメールに書いて送信ボタンを押したとたん、涙が吹き出した。
意外にも、Rと付き合い出してしばらくの間、私は夫の不平不満、愚痴の類いをほとんどこぼすことがなかった。
いっ時の浮気相手に重い気持ちを打ち明けたところで、負担に思われるだけだ。
それに、そもそも自分が夫を嫌いだとまでは思っていなかったし、
まして、モラルハラスメントを受けているなどと認識していなかったのである。
「私、夫を家族としては愛しているんです。
あの人は気むずかしいところがありますが、私にも欠点はあるので、お互い様なんです。
それに、気は合うんですよ。
ただ、男として見れないだけなんです」
なんて、しれっとRに言っていた。
しかし、嘘を言ったのではなかった。
嘘をつける方がまだマシだった。
少なくとも自分の本心を自分で解っているということだから。
この時の私は、
女として満たされたいから他の男にちょっと走っているだけであって、
夫とは上手くやっている方だと思っていた。
「そうなんですね」
とだけ、Rは返信してきた。
夫も息子も寝静まった夜半、リビングで1人になった私は、
嗚咽しながら堰(せき)を切ったようにメールをつづり始めた。
止めどなく頬を伝う涙でスマホの画面がにじむ。
「私、本当は夫が大嫌いなんです。
一緒にいるのが苦痛でしかたないんです。
でも、そんな自分の気持ちに今まで気付かなかった」
「そうですか……」
「ううん、認めたくなかったんです。
だって、一緒に暮らしている人を実は大嫌いだったなんて、
今までの結婚生活は何だったのだろうと思ってしまう。
そして、これから先も夫婦をやっていくのかと思うと、暗澹(あんたん)たる気持ちになります」
「確かに、それは辛いですね」
Rは、励ましも助言もしなかった。
ただ、夜中じゅう続く私のメールに、短くてもすぐに返信をくれ続けた。
「もしかして……あなた、今、泣いていますか?」
とRが聞いてきた。
「はい。なぜ判ったの?」
「なんとなく、感じたんです」
後で判ったことだが、この夜、彼は論文の締切りが迫っていて、
ようやく娘を寝かし付け、これから一仕事しようとしていたところだった。
それでも彼は、そんなことは一言も言わず、私のメールに深夜まで応え続けてくれたのだ。
お陰で彼は、徹夜することになってしまった。
それにしても、自分でも長年気付いてこなかった気持ちが、なぜ、ふいに飛び出してきたのだろう?
この頃、Rとはすでに数回逢瀬を重ねていたが、彼はまだ私に挿入できずにいた。
いい歳をして"セカンドバージン状態"の情けない女に、彼は嫌な顔一つしないどころか、
私の體(からだ)をまるでガラス細工のように大事に扱ってくれていた。
「急がなくていいんですよ。僕はあなたとこうしていられるだけで、ものすごく気持ち好いんですから」
と。
徐々に、私の體に染み込んだセックスに対する恐怖心や嫌悪感が、細胞レベルでゆるみ出していたのだと思う。
それと同時に、積年のどろどろした思いを腹の底に抑え込んでいた重石(おもし)が、崩れ始めたのだ。
その時、2階で物音がした気がして、私は慌てて涙腺を締めた。
スマホを閉じ、息を殺して様子を伺う。
秋の虫たちの声も聞こえてこない。もう深夜3時を回っていた。
「そろそろ寝ましょうか」
とメールを送った。
「あれ、もうこんな時間なんですね。あなた、大丈夫ですか?眠れますか?」
「はい。長時間話を聞いていただいて、どうもありがとう。
おかげで気持ちが楽になりました」
「それは良かったです。
あなたをずっと想っていますからね。
ゆっくり眠って下さい」
メールを終えると、私は思わずスマホを胸に抱きしめた。
(つづく……)
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