"ほら、返信しなよ。
私も幸せじゃない。
孤独だし、毎日淋しいって"
と、エゴがささやく。
ああ、嫌いで別れたのではないのだ。
むしろ、大好きだった。
そりゃ、Rのようなわけにはいかなかったけれど、
カッコよくて、
車の運転がすごく上手で、
"體(からだ)"がすごぉく快(よ)かった。
Kは、若い頃恋愛が苦手だった私が、憧れていたができなかったトレンディドラマのような恋愛体験を、沢山させてくれた。
昨年の春分のころ、
電話口でおいおい泣きながら別れを告げた。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
心の中で、感謝の言葉がリフレインした。
“そんな彼が、
つらい、淋しいと久しぶりにメールをくれたんだよ?
勇気がいったに違いない。
なのに、一言も返信してあげないの?
あまりに冷たくない?”
と自分に問う。
返信したいのは山々だ。
でも、「その心は?」
とさらに自問する。
私は彼に返信することを、
「どんな意識状態で」
やろうとしている?
思考を静め、耳をすますと、
返信してやれ、してやれとささやいていたエゴの本音が聞こえてきた。
「やっぱり、君は俺の女神だった」
「失って改めて、君の大切さがわかった」
と言われたい、求められたい!
私は価値ある女だと確信したい!
ほうらね……これって、「恐れ」じゃん。
無意識下で、自分には価値がないのではないかと恐れている。
だから、他人からお墨付きが欲しいんじゃん。
これは"愛"じゃない。
彼に対しても、私自身に対しても。
私の見栄だ。
彼の弱った心を利用して、
自分の女としての価値をはかろうとしているのだ。
もう、こんな痛いことは終わりにするの。
なぜって?
こんなことで一時的に自分を慰めても、
すぐにまた虚しくなるだけだから。
自分には価値が無いのではないかという、
心の奥底にある"不足の恐れ"を
他人に埋めてもらうことは、
一時的にはできても、
根本的にはできないことを、
私はこの10年で、痛いほど学んだ。
私は、他人から愛をもらうのではなく、
自分が"本物の愛そのもの"になりたい。
これは道徳や倫理の話ではない。
エネルギー状態の話だ。
簡単に言えば、赤ちゃんのような存在状態に戻りたいのだ。
赤ちゃんは何か良いことを言ったり、やったりする訳ではないけれど、
愛そのものじゃない?
別れた相手に連絡するのが悪いのではない。
それを、"愛"からできるなら、良いと思う。
でも、今の私は
まだエゴが勝ってしまうから、
彼を慰みに利用してしまうから、
無言で返すのが、今は一番良いのだと思う。
心を鬼にして、やはり今回も返信しないことにした。
ごめんね、K君。
でも、私は本当は知っている。
K君は大丈夫。
そして私も、大丈夫なのだと。